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エクササイズ後の血液で増えるGpld1は脳の若返り促進因子

運動(エクササイズ)が脳の老化を防ぐのに良いことはよく知られています。ただ、高齢者に「運動しましょうよ」と勧めるにしても、それぞれの人で筋肉の衰えの程度も違うし、いろいろな持病を抱えて運動が制限される場合もあるし、そう簡単ではないですよね。もし、運動による脳老化予防がそもそもどんな仕組みで起きるのかが詳しくわかれば、運動できない人に、まるで運動したかのような脳老化予防刺激を与えられるかもしれないと思いませんか。でも、そんなことが可能なのでしょうか。

この夢のようなアイデアを実現できるかもしれないと期待させる面白い研究が、ごく最近発表されました。何と、運動させたマウスの血液を採取し、その血漿成分を運動してないマウスに投与したところ、脳の再生や機能が良くなったというのです。しかも、運動させたマウスの血液を詳しく調べ、ここに含まれる多くの物質の中から、脳機能改善に働く物質Gpld1を同定したというのです。

この興味深い研究は2020年7月10日、Science誌に発表されました。論文の筆頭著者はAlana M. HorowitzさんとXuelai Fanさんの二人、責任著者はSaul A. Villeda先生で、米国のUCSFのグループからの研究報告です。

Blood factors transfer beneficial effects of exercise on neurogenesis and cognition to the aged brain

Alana M Horowitz, Xuelai Fan, Gregor Bieri, Lucas K Smith, Cesar I Sanchez-Diaz, Adam B Schroer, Geraldine Gontier, Kaitlin B Casaletto, Joel H Kramer, Katherine E Williams, Saul A Villeda

Science. 369 (6500):167-173: 2020

これまで動物モデルを用いた実験で、運動が脳の再生能や機能に良いとする研究はありました。また、若いマウスの血液は老年マウスの脳に良い作用をもたらすとする研究もありました。ではこれを組み合わせ、運動させたマウスの血液を調べると、老年マウスの脳再生や機能に良い作用を持つのでしょうか。そのような着想をもとに、この研究は開始されたのです。

研究チームは、老年マウス(18ヶ月齢)に6週間、回し車での運動機会を与え、エクササイズマウスとしました。ハムスターなどの動物を運動させるものとして漫画などにも出てくる、あの遊具のような装置です。その後、エクササイズマウス血液から血漿を採取し、これを非エクササイズ老年マウスに注射(3週間にわたり8回で)したのです。この実験の結果、大変面白いことに、非エクササイズマウスの脳において、脳の中で記憶や空間学習能などに関わる海馬領域の脳細胞新生や、脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現が高くなったことがわかりました。

研究チームはさらに、エクササイズマウスの血漿が実際に脳機能も改善したかを調べました。RAWMと呼ばれる迷路を用いた実験や、恐怖条件づけと言われる実験など、空間認知やその記憶の評価に用いられる行動試験をおこなった結果、老年エクササイズマウスの血漿を投与した非エクササイズ老年マウスでは、有意な脳機能改善を認めたのです。

エクササイズマウスの血漿が持つ作用は、老年マウスを運動させたときだけに見られるのではありません。成体マウス(6-7ヶ月齢)を運動させた後に採取した血漿でも、これを非エクササイズ老年マウスに投与すると、やはり同様に脳再生と機能改善が得られることもわかりました。

非常に興味深い実験結果ですが、それでは、血漿の中のどんな成分が、非エクササイズ老年マウスの脳に良い作用をもたらしたのでしょうか。

このことを調べるため、研究チームはのプロテオーム解析をおこないました(01)。その結果、エクササイズマウスで増加している因子として、12の物質が同定できました。研究チームはその中でも、これまでに老化や神経新生や脳機能などとの関連が知られてなかった分子、Gpld1、に目をつけて研究を続けました。大変重要なことにGpld1は、ヒトにおいても、健康で活動的なグループで、そうでないグループよりも血中に多く含まれることもわかりました。また、Gpld1は主に肝臓で作られること、そしてやはり運動後にその量が増えることもわかったのです。

Gpld1がマウスの脳に及ぼす影響をより直接的に調べるため、Gpld1をマウスに強制的に作らせる実験をおこないました(02)。この実験において、Gpld1遺伝子DNAを注入された老年マウスでは、血中にGpld1が出現し、海馬で神経新生が生じ、脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現が高くなりました。しかもこれらマウスでは、RAWMの迷路、およびY迷路試験、さらには新奇物体探索試験と呼ばれる行動試験等において、明らかな脳機能改善を認めたのです。

Gpld1は酵素タンパクです(03)。論文ではこのあと、Gpld1の海馬への作用にはGpld1の酵素活性が必要であることや、Gpld1は血液脳関門を透過しないことを示しています。また、Gpld1を強制的に発現させた老年マウスでは血漿中でいくつかの物質の増減が生じること、そしてこの増減にはuPAR(urokinase-type plasminogen activator receptor)という分子が関わる可能性を指摘し、Gpld1の作用がuPAR分子機能を介するのではないかと考察しています。つまり、 運動後に肝臓で産生され、血液中に放出されたGPLD1は、自身が直接脳内に到達して作用するのではなく、たとえばuPAR分子の働きを調節することで、間接的に海馬領域に影響を及ぼすのだろうとしているのです。

もう一度整理しましょう。運動したマウスの血液成分をもらうことで、運動していない老年マウスの脳が、まるで自身が運動したかのように改善するというのです。しかも、その作用を有する物質、Gpld1、が明らかになったというのです。すごい研究ですよね。読んでいても大変面白い研究でした。

個人的には、まずタイトルを見て、こんなことが起こるのなら何か筋肉が関係するのかと思いましたが、結果として肝臓で産生される物質だったのも興味深く感じました。次に、Gpld1が脳の若返り作用を発揮するしくみに、uPARの関与の可能性を指摘したのも面白く思いました。uPARは最近、老化細胞が強く発現する分子として報告されたからです。Gpld1が、広く老化細胞の調節に関わり、これが脳への作用にも関与するなどが分かってくれば面白いなぁと思います。最後はやはり、脳老化予防への応用に対する興味です。さすがに、運動したヒトの血液を集めて運動できない老年者に点滴するのは無理でしょうけど、Gpld1そのものを点滴する、あるいは肝臓でのGpld1産生を誘導できる薬を投与するなど、脳老化予防の新しい戦略に道が開けるかもしれないですよね。

それにひょっとしたら、この作用は非エクササイズ老年者だけでなく、病気で海馬が障害を受けた人たちの治療にもなる可能性があるかもしれません。

補足

01:エクササイズマウスの血漿で、非エクササイズマウスのそれに比べて増加しているタンパク因子を探したのです。もっと具体的には、iTRAQ®システムといって、アイソバリック(等質量)タグで複数サンプルのタンパク由来ペプチドをそれぞれ標識し、続いてこれを混合して質量分析(MS/MS)をおこなうことで、ペプチド同定と同時に各サンプルにおける定量比較も可能とするプロテオーム解析を用いたのです。

02:発現させたいタンパク質をコードする遺伝子DNA溶液を、マウスの静脈内に、圧をかけて短時間に投与すると、生体内の細胞、特に肝細胞に効率よく取り込まれることが知られます。肝臓に取り込まれた外来遺伝子はここで発現し、タンパク質として産生されるのです。

03:Gpld1の酵素活性は、グリコシルフォスファチヂルイノシトール(GPI)アンカーをもつタンパク質に結合するさまざまなタンパク質を、細胞膜から血中へ放出させることが知られています。研究チームは、酵素活性を失ったGpld1変異体を老年マウスに発現させても、神経新生や行動試験の改善効果が見られないことから、Gpld1の海馬への作用にはGpld1の酵素活性が必要であるとしたのです。

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