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メタボロミクスに基づく妊娠週数推定と分娩予測

今回は、正常妊娠に関するお話です。妊娠した場合、できるだけ正確に受精日を推定し、これに基づいて妊娠週数分娩予定日を決定することが重要です。通常、受精日に関する明白な情報がある場合はその日が妊娠2週0日、それが不明瞭なら最終月経初日が0週0日となります。あるいは、超音波検査をおこない、たとえば妊娠9-10週頃の胎児頭殿長から推定するなどの方法も、精度が高いとされているのだと思います。

日本において、この妊娠初期の超音波検査の機会さえ逃してしまうような未受診妊婦が果たしてどのくらいいるのか、私は情報を持ちません。おそらく、他国と比べればたいへん低いような気がします。逆に言うと、世界を見渡せば、妊娠週数や分娩予定日も曖昧なまま妊娠を続けるケースが多い国もたくさんあるのではないでしょうか。また途上国でなくても、たとえば米国では、妊娠第1三半期(first trimester)に受診しない妊婦が年間90万人程もいるのだそうです。

では、最終月経の情報があいまいで、妊娠初期の超音波検査も施行できなかった場合、簡単に、そして正確に妊娠週数を推定する方法は他にあるのでしょうか。

この問いに答えるべく、妊婦の血液のメタボローム解析をおこない、妊娠経過中の代謝物変化を詳細に調べた研究成果が2020年6月25日、Cell 誌に発表されました。筆頭著者はLiang Liangさん、責任著者はMichael Snyder先生とMads Melbye先生の2人で、米国のスタンフォード大学およびデンマークのコペンハーゲン大学を中心としたグループによる研究報告です。

Metabolic Dynamics and Prediction of Gestational Age and Time to Delivery in Pregnant Women

Liang Liang, Marie-Louise Hee Rasmussen, Brian Piening, Xiaotao Shen, Songjie Chen, Hannes Röst, John K. Snyder, Robert Tibshirani, Line Skotte, Norman CY. Lee, Kévin Contrepois, Bjarke Feenstra, Hanyah Zackriah, Michael Snyder, Mads Melbye

Cell 181(7):1680-1692: 2020

はじめにまとめてしまうと、本研究は、健常な妊婦集団からほぼ週ごとに採取した血液のメタボローム解析をおこない、血中代謝物変化を詳細に解析した研究です。そしてその結果、これまで知られてきた以上に、妊娠中の血中代謝物がダイナミックに変化することがわかったとしています。しかも、機械学習の手法を用いて、膨大な種類の血中代謝物データのいくつかを組み合わせる方法を見出すことに成功し、そのモデルを使えば妊娠週数を正確に判定したり、個々の妊婦の分娩時期予測にも有用としたのです。

さて、本研究で用いたメタボローム解析(メタボロミクス)について触れておきます。生体には、核酸やタンパク質のほかに、糖、有機酸、アミノ酸、各種脂質など多種類の低分子物質が存在します。これら低分子物質の多くは、さまざまな酵素反応などによって作り出された代謝物質(メタボライト)です。そして、多様なメタボライトの「総体」というか「全体」のことを、メタボロームと呼ぶのです。メタボロームという語は、遺伝子(gene)全体をゲノム、転写産物(transcript)全体をトランスクリプトーム、タンパク質(protein)全体をプロテオームなどとするのと同様、代謝物質(metabolite)の語尾に”-ome”をつけて造られた言葉です。また、”-omics(オミクス)”とすれば”〜解析”という意味で用いられることはご存知と思います。

それでは早速研究内容を見ていきましょう。

本研究ではデンマークの健康な妊婦を対象としました。ある時期の妊婦30人を対象とし、うち21人を新しい知見を発見するための”discovery”集団、残り9人をデータ検証のための”test-1”集団としました。それから、まったく異なる時期に妊婦8名を集め、もうひとつのデータ検証集団”test-2”としています。「discovery集団」の21人と「test-1集団」の9人を合わせた30人の妊婦から、合計784の血液検体を得たとしているので、妊婦一人あたり26回程度の血液採取をしています。こうして経時的に得た妊婦血清を除タンパク処理し、含まれる代謝物の種類や量を液体クロマトグラフ-質量分析(Liquid Chromatograph-Mass Spectrometry: LC-MS)で網羅的に解析したというわけです。

その結果、多くの代謝物(9651のmetabolic features)が妊婦血液中に同定されたのに加え、その多くが妊娠経過中にダイナミックに変化することがわかりました。これらのうち、ヒトの主要な代謝物としてアノテートされる687物質が確認されましたが、その中で妊娠週数に相関し増減するものが460物質あったとしています。そしてその中で、妊娠週数が進むにつれて「増加する」程度の高い上位物質(30物質)にはステロイドホルモンが多く含まれる一方、「減少する」程度の高い上位ランキング(38物質)には、脂質が多く含まれることなどがわかりました。

研究チームは、上記の増加・減少ランキングに入る計68物質に着目し、さらに解析を続けます。たとえば、これら68物質は大きく7つのグループに分類できることを見出しました。これらは、ステロイドホルモン代謝物リン脂質代謝物脂肪酸代謝物カフェイン代謝物などのグループです。また、この68物質の解析とは別に、先の687物質に戻ってパスウェイ解析をおこなったところ、ステロイドホルモン生合成経路アラキドン酸代謝経路など、妊娠経過中に大きく変化する代謝パスウェイとして34経路があったとしています。

詳細は書きませんが、論文には個別の物質やパスウェイの変化が細かい時間解像度で示されています。妊娠期間中の生体変化に興味をもつ研究者からすれば、これらのデータは貴重なリファレンスになるのだと思います。

さて研究チームは、得られたデータをもとにして、妊娠週数を正確に予測する手法を構築できないか検証しました。そして、機械学習(AI)の手法を用い、「discovery集団」におけるデータにLasso回帰を適応した結果、5つの代謝物を選択しました。すなわち、これら5物質の血液データを組み合わせた方法で予測する妊娠週数が、妊娠初期の超音波で決定する週数と高精度で合致するとしたのです。この結果は、「discovery集団」に戻っておこなう交差検証、および「test-1」と「test-2」のふたつの集団におけるバリデーションでも確認され、妊娠週数予測に非常に有用であることが示されました。言い換えるならば、5つの代謝物データを組み合わせる手法により、正確な妊娠週数を表す『代謝時計(メタボリック・クロック)』を構築できる、というのです。

機械学習法により、研究チームは他にもいくつか妊娠週数に関する予測システムを構築できたとしています。たとえば、3つの代謝物(上記5つの物質と一部オーバーラップ)を選択し、これらデータを組み合わせることで、妊娠20週、24週、28週、32週あるいは37週に達しているか否かを高精度で判定できることを示しました。

さらにもうひとつ、チームは興味深いことを見つけました。先の5つの代謝物を用いる妊娠週数推定は十分精度が高いものの、ごく一部の妊婦において、これが超音波検査に基づく妊娠週数からズレてしまうというのです。しかもこれが、単なる統計的なばらつきによるのではなく、何かの生物学的要因に基づくと考えられたというのです。

調べた結果、この「ズレ」が児の出生時体重と関係することを見出しました。すなわち、代謝時計が示す妊娠週数が超音波所見による妊娠週数より早く進む児は、生児体重が大きい傾向があり、かつ分娩が早まる傾向があることがわかったのです。逆に、代謝時計が超音波による週数よりも遅れる児では、生児体重が小さく、かつ分娩時期も遅れるというのです。

このことから研究チームは、メタボロームデータから別のより適切な代謝物を選択し組み合わせれば、個々の胎児の成長程度の違いを反映し、個々の妊娠で微妙に異なる分娩時期を正しく予測することが可能ではないかと考えたのです。そして、再び機械学習法で検討した結果、3つの代謝物(代謝時計に利用する5つの物質と一部オーバーラップ)を組み合わせることで、血液採取の時点から2週以内、4週以内、あるいは8週以内に分娩が始まることを高精度で予測できるシステムを構築したのです。

本研究の後半は、少し混乱するのでもう一度説明しましょう。ここでは、前半のメタボロームデータを用いることにより、『妊娠期間の代謝時計』システムを構築しました。すなわち、5つの代謝物データを用いることにより、妊娠初期の超音波で決定する週数とほぼ変わりない正確な週数推定ができるとしたのです。また、妊娠週数の推定とは別に、個別の妊娠が通常の妊娠の進行に比べてズレを生じているか(早めにあるいは遅めに進行しているか)についてもメタボロームデータで評価可能だとしているのです。そして、上記代謝時計用の5つとは少し異なり、別に選んだ3つの代謝物データで評価すると、個別の妊娠ごとの分娩時期予測に有用であることを示したというわけです。

本研究で提示したメタボロームデータは、正常妊娠の進行に関わるホルモン調節や脂質代謝など、さまざまな視点に立つ研究に多くの情報を提供することと思います。多岐にわたる代謝物が予想以上に変動する様子を提示したことで、これら代謝物変動に関わる生体調節機構が妊娠の進行と連動する詳細を調べる研究が大きく進むのだと思います。加えて、妊娠週数推定を可能にする「代謝時計」、さらに分娩予測システムは、臨床的にも有用な技術になるのでしょう。論文では、本研究は限定した人種を対象としたものであり、他の人種も含む大きな集団での検証も必要としています。また、本研究で各種予測システムに選ばれた代謝物を実際に定量測定する方法の開発も必要であるなど、さらなる研究が必要と述べています。しかしながら、妊婦から一回、あるいは数回の血液を採取することで、妊娠週数や近い将来の分娩時期を推定できるシステムは、国や地域によっては大きな意義をもつことも予想されます。

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