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腸内細菌由来のイノシトールリン酸が腸のHDAC3活性化と再生を促進する

イノシトール3リン酸IP3)という物質があります。細胞膜に存在するイノシトールリン脂質がホスホリパーゼという酵素で分解されると、細胞内でこのIP3が生成されます。こうしてできたIP3は、細胞内のカルシウムイオン貯蔵構造に作用し、その放出を促します。細胞質へ放出されたカルシウムは、結果的に多彩な細胞活動に関わるのです。つまりIP3は、何らかの刺激を受けた細胞がこれを最終的な細胞応答につなげる過程において、情報伝達の細胞内メッセンジャーとして機能するのです。

今回取り上げるのは、私自身とても驚いた研究です。先に書いたように、細胞内情報伝達物質として有名なIP3が、細胞外因子としても機能するというのです。具体的に言うと、腸内細菌が腸管腔内に放出するIP3が、細胞外から大腸上皮細胞に作用し、その結果腸再生を促進するというのです。本研究成果は、2020年7月30日にNature誌で発表されました。論文の筆頭著者はShu-en WuさんとSeika Hashimoto-Hillさんのふたり、責任著者はTheresa Alenghat先生です。米国シンシナティ大学のグループからの研究論文です。

Microbiota-derived metabolite promotes HDAC3 activity in the gut

Shu-en Wu, Seika Hashimoto-Hill, Vivienne Woo, Emily M. Eshleman, Jordan Whitt, Laura Engleman, Rebekah Karns, Lee A. Denson, David B. Haslam & Theresa Alenghat

Nature (2020)

はじめに、ヒストン脱アセチル化酵素HDAC(エイチダックと読みます)について書いておきます。私たちの体内で、同じゲノムDNAをもつ細胞がそれぞれ異なる性質をもつのは、各細胞が異なる遺伝子(mRNA)セットを発現するからです。では、ゲノムDNA上で特定のmRNAセットが転写されるしくみはどう調節されるのでしょうか。もちろん直接的にmRNAを合成するのはRNAポリメラーゼです。しかしながら、この酵素が単独で転写反応をおこなうのではなく、適切な遺伝子が適切なタイミングで発現できるよう、多くのタンパク因子が集結し、巨大な複合体をつくり、転写の開始、伸長、停止などを担っています。

2重らせん構造をとるゲノムDNAは、細胞核内でヒストンというタンパク質群に巻きついて、秩序をもったクロマチン構造をとって格納されています。RNAポリメラーゼを含む複合体がDNAにアクセスし、転写反応をおこなうためには、クロマチン構造そのものの調節も連動する必要があります。転写がONとなる領域では、クロマチン構造が『ゆるく』なり、大きな転写複合体が接近し結合できる空間が生み出される、そういうイメージです。

このようなクロマチン構造変換のため、ヒストンタンパクもさまざまな調節をうけることが知られます。そのひとつがアセチル基の付加(アセチル化)とその除去(脱アセチル化)です。一般に、ヒストンタンパクがアセチル化を受けると、クロマチン構造が局所的にゆるくなり、近傍での転写がおきやすくなる一方、その部位が脱アセチル化されると、クロマチン構造がタイトになり、転写が抑制されます。

ヒストン『脱アセチル化反応』を触媒するのがHDACです。したがってHDACが活性化されるとヒストン脱アセチル化が進み近傍領域で転写が抑制されるのに対し、HDAC活性が低下するとヒストンアセチル化が残存し転写が継続することになります。HDACはアイソフォームをもち、たとえばヒトには現在HDAC1から11まであることが知られます。本研究では、この中のHDAC3 に注目したのです。

さて、腸の話に移りましょう。腸上皮細胞は、腸内腔と私たちのからだを隔てるバリアとして働きます。腸上皮細胞の機能にも、もちろんヒストンのアセチル化・脱アセチル化が関与する遺伝子転写調節が重要な役割をもつわけです。

以前から、腸内細菌が産生する酪酸が腸上皮細胞のHDACを抑制する、とされてきました。そこで研究チームは、これが本当ならば腸内細菌が存在するマウスでは腸上皮HDAC活性が低くなると考えました。ところが調べてみると、無菌マウス(以後はGF(germ free)マウスとします)に比べ、腸内細菌が豊富な通常のマウス(以後はconventionally-housed (CNV)マウスとします)で、腸上皮HDAC活性がむしろ高いとの結果が得られました。ここから本研究が始まります。すなわち、腸内細菌と腸上皮HDAC活性との間には、酪酸以外の物質が関わる未知の調節があると考えたのです。

研究チームは、HDACの中でも、腸上皮で重要なHDAC3に焦点を絞ります。そしてHDAC3に限っても、CNVマウス腸上皮ではGFマウスのそれよりも高い活性を示すことがわかりました。では、腸内細菌が腸上皮のHDAC3を活性化する機構はどのようなものなのでしょうか。これを明らかにするため、GFマウスとCNVマウスの腸上皮細胞の発現遺伝子比較をおこないました。そして、イノシトールリン酸の代謝やイノシトール3リン酸(IP3)により誘導される遺伝子群が、大きく違うことを見出したのです。

チームは、『腸内細菌がIP3の作用を介し腸上皮HDAC3を活性化するのではないか』という考えを検証します。まず、HDAC3がNCoRというタンパクと共存した上でヒストン脱アセチル化反応を起こすin vitroアッセイにおいて、IP3がこれを増強することを確認しました。また、CNVマウスの腸管内にはGFマウスに比べIP3が豊富にあることや、腸上皮オルガノイドにIP3を添加するとHDAC3活性が高くなるることもわかりました。

腸内細菌のうち、フィチン酸分解酵素をもつ大腸菌などは、その産物としてIP3を出すことが知られます。そこでGFマウスに、ただ一種類、フィチン酸分解可能な大腸菌を定着させたところ、腸上皮のHDAC3活性が高まりました。HDAC3は、ヒストンH3タンパクの9番アミノ酸であるリシン残基(H3K9)を脱アセチル化します。フィチン酸分解大腸菌を定着させたGFマウスの腸上皮では、HDAC3活性増強の結果として、確かにH3K9アセチル化が減ることもわかりました。さらに、GFマウスにフィチン酸分解大腸菌を定着させた場合、腸内のIP3が増加することもわかりました。以上の結果より、フィチン酸が腸内細菌で分解され生じるIP3が腸上皮HDAC3活性を上昇させる機構がある、と結論づけたのです。

過去の研究で、腸上皮のHDAC3が欠失したマウスやGFマウスでは、腸上皮障害がひどくなると報告されていました。そこで研究チームは、IP3の作用が腸上皮障害に対しどう働くかを調べる目的で、デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)という物質で大腸粘膜を障害するマウスモデル実験をおこないました。その結果面白いことに、GFマウスにDSSを投与して生じる症状が、腸へのIP3注入で改善したのです。すなわち、腸内細菌由来のIP3が腸上皮のHDAC3活性を上昇させる現象は、腸障害を軽減させることにつながる可能性があるのです。

興味深いことに、ヒトの潰瘍性大腸炎患者の腸内細菌は、健常者のものと比較し、フィチン酸分解酵素発現が低いことがわかりました。また、炎症性腸疾患患者と健常者の腸内細菌を比較した過去の論文を見直すと、IP3代謝やフィチン酸分解に関わる遺伝子群の発現に違いが確認できたとしています。これらのことから研究チームは、腸内細菌由来IP3とヒト疾患における腸上皮障害の間にも相関がある可能性がある、としたのです。

チームはさらに、IP3がもつ腸障害軽減作用の仕組みを調べました。フィチン酸を投与したCNVマウスで、投与しない群よりもDSS腸炎の症状が良くなる理由を調べたのです。その結果、フィチン酸投与群では腸上皮再生が亢進したことを見出しました。このことは、オルガノイド培養した腸上皮にIP3を添加すると細胞増殖が亢進することでも確認できました。

あらためて整理しましょう。本研究では、フィチン酸分解酵素をもつ腸内細菌に由来するIP3が腸上皮細胞に作用し、HDAC3活性を増強することを示しました。そして、HDAC3機能はダメージを受けた腸上皮細胞の増殖と再生に重要な役割をもつことを示しました。

最初に書いたように、細胞内メッセンジャーとして有名なIP3が、細胞外因子として腸上皮に作用するとのデータに驚きました。本研究成果を受け、フィチン酸分解酵素をもつ腸内細菌の多寡と炎症性腸疾患の病態との関係を調べる研究が進むことでしょう。また、フィチン酸分解酵素をもつプロバイオティクス、あるいはフィチン酸そのもの、さらにはIP3を投与することにより、腸障害を予防したり治療したりする考えが広がるかもしれませんよね。

ちなみに、IP3が細胞外因子として作用し、最終的にHDAC3を活性化する細胞内分子機構については、本研究ではほとんど明らかになっていません。HDAC3のヒストン脱アセチル化能をIP3が増強することがin vitroアッセイで示されましたが、研究チーム自身、IP3による細胞内カルシウムの変化など、他のメカニズムが関わる可能性も否定できないとしています。また、細胞外から供給されるIP3がどのように細胞内に取り込まれるのか、細胞外からのIP3は細胞内ホスホリパーゼ反応で生成されるIP3プールとどのように区別し利用されるのか、あるいは区別されないのか、このような研究も大きく進むことが期待されます。

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