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妊婦の腸内細菌代謝物が胎児の脳発達を助ける

妊娠母体の腸内細菌胎児脳に影響を及ぼす可能性が指摘されてきました。しかしながら、これが妊娠中の胎児への作用であるのか、あるいは出産時や産後に母体から新生児へ伝播する腸内細菌の作用によるのかは明確ではありませんでした。しかも過去の研究は、母体に高脂肪食を与えるなど、ストレスを加えた際の腸内細菌変化が胎児に及ぼす影響をみたものが多く、シンプルに腸内細菌の有無が胎児脳に及ぼす作用をみた研究はあまり無かったのです。

ごく最近、妊婦の腸内細菌が胎児の脳発達に与える作用をマウスで詳しく調べた研究が発表されました。この研究によると、腸内細菌が生み出す代謝物が、胎児の脳、特に感覚神経路の発達と機能に影響をもつというのです。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のグループを中心におこなわれた本研究成果は、2020年9月23日、Nature誌で公表されました。論文の筆頭著者は、責任著者も兼ねたHelen E. Vuong先生です。

The maternal microbiome modulates fetal neurodevelopment in mice

Helen E. Vuong, Geoffrey N. Pronovost, Drake W. Williams, Elena J. L. Coley, Emily L. Siegler, Austin Qiu, Maria Kazantsev, Chantel J. Wilson, Tomiko Rendon & Elaine Y. Hsiao

Nature (23 September 2020)

研究チームはまず、受精前から無菌環境で飼育したマウス(無菌マウス)、受精前から抗生物質投与で腸内細菌を除去したマウス、そして通常マウス、の3つの妊娠マウス集団から、胎生14.5日(E14.5)の胎児脳を採取(01)、これらの脳組織での遺伝子発現を比較解析しました。その結果、腸内細菌なし(無菌マウスと抗生物質投与マウス)群と腸内細菌あり(通常マウス)群の母体内胎児脳において、明らかな差があることを発見しました。そしてその中に、神経細胞の軸索形成に関わる遺伝子が多く含まれることを見出したのです。

チームは中でも腸内細菌なし群の胎児脳で発現が低下する遺伝子、Netrin-G1a(NTNG1)に注目しました。NTNG1は、発達過程の脳において、視床皮質路に発現する分子です。実際にE14.5の腸内細菌なし群の胎児脳を調べたところ(02)、NTNG1の発現低下とともに、視床皮質路の低形成が認められました。研究チームはこの現象が、NTNG1陽性細胞とその軸索形成に関わる線条体や視床下部細胞群との相互作用障害であるとしています(03)。

チームは次に、母体の腸内細菌欠如で生じた胎児脳の変化が、生後の脳機能や行動の変化の原因となるかを調べました。そのために、受精前から妊娠中期まで腸内細菌なしとした妊娠マウスを、視床皮質路形成異常が生じるE14.5以降は通常環境飼育に戻しました。そして、出生した仔が成体となった後に、各種行動試験をおこなったのです。その結果、腸内細菌なし(無菌マウスと抗生物質投与マウス)群から生まれたマウスでは、「von Freyテスト」や「Adhesive Removalテスト」で触覚障害が示唆されました(04)。以上から、妊娠中期までの母体腸内細菌の欠如は、仔の感覚神経、中でも特に触覚伝導機能に影響を残すことが示されたのです。

それでは、腸内細菌叢の中の何か特定の細菌がこの現象に関わるのでしょうか。これを調べるため、抗生物質投与マウスに個別の細菌を戻し、その影響を調べました。その結果、クロストリジウム属の菌を戻した場合に、胎児脳でのNTNG1発現や視床皮質路の回復が見られることがわかりました。このことから、母体腸内細菌がもつ胎児脳への作用は、クロストリジウムを含む特定菌種によることがわかったのです。

研究チームは、腸内細菌の胎児脳への作用は、細菌由来代謝物によるのではないかと考えました。そこで母体血液、および胎児脳組織に含まれる低分子物質の解析をおこないました(05)。その結果、最終的に、胎児脳視床皮質路形成に作用する可能性がある低分子物質として、腸内細菌を除去した母体の血液に少なく、しかもその胎児脳でも減少していた4物質を候補として焦点を絞り、研究を進めました(06)。

候補物質の作用を調べるため、4物質の混合物を無菌妊娠マウスの腹腔内に投与しました。その結果、NTNG1発現視床皮質線維の減少が抑制され、これら物質の胎児脳での増加も見られ、しかも仔の行動試験で触覚障害も改善しました。以上から、母体腸内細菌の胎児脳への作用は、細菌が産生する代謝物によることが示されたのです。

整理しましょう。本研究では、腸内細菌なし群と腸内細菌あり群の妊娠母体内の胎児脳を直接解析する、あるいは生まれた仔の行動試験をおこなうなどの実験をおこないました。これによって、母体の腸内細菌が産後に仔に伝播するのではなく、妊娠中に胎児脳に直接影響することを明確にしました。そしてその結果、母体の腸内細菌の欠失が胎児脳の視床皮質路形成に影響を及ぼすこと、そしてこれが生後の感覚障害の原因となりうることを示しただけでなく、この現象に関わる腸内細菌代謝物の同定にまで至ったのです。

本研究で明らかになった代謝物が、視床皮質路NTNG1陽性細胞の軸索形成にどのように関与するのかは未だ明らかではありません。しかしながら今後の研究で、ヒトでも同様の現象があることやその仕組みが解明された場合には、妊婦にこれら代謝物を補充して胎児脳の発達を安全に導く治療が可能になるかもしれませんね。今後の研究にも注目していきたいと思います。

補足

01:腸内細菌をなくす条件として、完全に無菌環境で飼育するマウス(無菌マウス)、および細菌を除去するために抗生物質(ネオマイシン、メトロニダゾール、バンコマイシン、アンピシリン)を投与する群(抗生物質投与マウス)の二つを解析しています。通常の環境で飼育するものを通常マウスと記載します。

02:脳組織切片および透明化脳(whole brain)の免疫染色法で解析しています。

03:研究チームは、視床皮質路の軸索形成異常がNTNG1陽性細胞に内因性(intrinsic)の理由によるものか、あるいは外因性(extrinsic)理由によるものかを区別しようと、エクスプラント実験を行いました。ただ、その結果は解釈の難しい結果となりました。すなわち、視床単独、あるいはこれに線条体や視床下部を共培養するエクスプラント実験において、腸内細菌欠如による影響の理由が視床(NTNG1陽性細胞を含む)の軸索形成(axonal formation)障害なのか、これを誘導する線条体や視床下部側のaxon guidanceの欠失か、判断が難しい結果となっています。

04 :「von Freyテスト」では、動物後肢の足底にフィラメントをあて、逃避反応を起こす閾値を測定します。閾値の程度で触覚や痛覚を評価するのです。「Adhesive Removal Test」では、動物の両前肢の足部分に粘着テープを貼り、反応するまでの時間やテープを除去するのに要する時間を調べます。

05:研究チームは、腸内細菌なし群と腸内細菌あり(通常マウスおよび抗生物質は投与したがクロストリジウムSp菌を定着させたマウス)群の妊娠マウスの血しょうで低分子物質プロファイル比較解析をおこない、両者に違いがあったとしています。また、上記2群の胎児脳組織でも、低分子物質プロファイルに相違があったとしています。このことから、これら相違を示した物質群の中で、胎児脳へ作用をもつ低分子物質の直接同定に進んだのです。

06:まず、プロファイル比較により、以下の5物質、trimethylamine-n-oxide (TMAO)、NNN-trimetyl-5-aminovalerate(TMAV)、imidazole propionate (IP)、3-indoxylsulfate(3-IS)、hippurate(HIP)を選びました。その後、視床エクスプラント実験で効果のなかった3-ISを除外した4物質を候補とし、これらの混合物(4 metabolite mixture; 4MMとしています)を用いて実際の作用を調べています。

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