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赤ちゃんの泣き声に対する聴覚応答は本能か学習効果か

今回は、赤ちゃんの泣き声、特に非常事態を告げる泣き声について、これを聞き取る側はどのように脳で認識するのか、というお話です。マウスを使った実験で、そしてちょっと面白い方法で、このことを調べた研究が発表されたので取り上げてみようと思います。

非常事態を訴える赤ちゃんの泣き声は、もちろん大人の声とは違いますし、赤ちゃんの通常の声とも異なります。また、個々の赤ちゃんでもそれぞれ泣き声パターンは少しずつ違うでしょう。では、これを聞く側が赤ちゃんの泣き声を識別する過程には、どういう脳内機構が関わるのでしょうか。マウスを使ってこのようなことを調べた研究が、2020年10月7日、Nature誌で公表されました。論文の筆頭著者はJennifer K. Schiavoさん、責任著者はRobert C. Froemke先生で、米国のニューヨーク大学のグループによる研究です。

Innate and plastic mechanisms for maternal behaviour in auditory cortex

Jennifer K. Schiavo, Silvana Valtcheva, Chloe J. Bair-Marshall, Soomin C. Song, Kathleen A. Martin & Robert C. Froemke

Nature (2020): 07 October 2020

今回紹介する研究では、赤ちゃん(生後1-8日の仔マウス)が発する非常事態の苦痛の泣き声を「distress call」と表しています。簡潔で妥当な訳語がわからないので、ここではそのままdistress callとすることとしましょう。そしてこのdistress callに対するマウスの脳内応答機構を、さまざまな手法で解析したほか、行動としては主としてリトリービング試験で評価しています(01)。巣から離れて置かれた赤ちゃんを、口にくわえて巣へ運び込んで戻す行動(retrieving)で評価するのです。

もう一度、この研究の目的はdistress callに対するマウスの応答を調べることです。したがって、これまでにdistress callを聞いたこともないバージンで未産の雌マウスを用いて実験をおこないます。この研究ではこのようなマウスをnaive virgin(NV)マウスとしています。一方、distress callを聞いた経験のある対照群として、子育て中の母子と一緒に生活し、養育活動を見聞きした経験があるマウスで、しかも自身はバージン雌マウスであるものを、experienced virgin(EV)マウスとして用いています(02)。簡単に言うと、まったく初めてベビーシッターの仕事をするNVマウスを、自身は未産だけどベビーシッター経験があるEVマウスと比較する、という設定です。

さて最初の部分で、この研究について、「ちょっと面白い方法で」と書きましたが、研究チームはまず、生直後に親から離された仔のdistress callの音声分析から開始したのです。その結果、distress callが4〜5個の音節(syllable)で構成され、典型例では各音節が150-200ミリ秒(ms)の間隔でつながることを見出しました。そこで、150-200 ms音節-音節間隔を「inter-syllable intervals (ISIs)」のプロトタイプとし、音節部分の特徴を変えることなく、ISIを短くしたり長くしたりしたバージョンを音声ソフトで合成し、実験に使ったのです。

たとえば最初の実験では、巣から離れて置かれた仔マウスに対し、子育て行動を見聞きした経験のあるEVマウスがどのような応答を示すかを調べました。その際、プロトタイプに近いISIをもつ合成音声を同時に聞かせると、EVマウスのリトリービング行動が誘導できるのに対し、長すぎるISI(575 ms以上)ではリトリービングが低下することがわかりました(03)。

研究チームは、同様の実験設定を用いて、子育て行動を学んだ経験の有無によってdistress callに対する応答がどう異なるかを調べました。すなわち、子育て行動を見た経験のあるEVマウスと経験のないNVマウスにおける脳内の聴覚皮質活動を調べたのです(04)。その結果、以下の面白い事実が明らかになりました。

まず、150-200 msのISIをもつプロトタイプdistress callに対しては、EVマウスとNVマウスの両者が同様の聴覚皮質の反応を示すことがわかりました。このことは、distress callを認識して養育行動を開始するプログラムが、脳に生来組み込まれたもの、すなわち経験によらない本能的なものであることを示しています。

一方、ISIの長さを変えたdistress callを聞かせて実験をおこなうと、EVマウスとNVマウスが異なる応答を示しました。EVマウスの脳は、長さのバリエーションをもつISI(75-375 ms)を含むdistress callにもよく応答するのに対し、NVマウスの脳はプロトタイプ以外の音声にあまり応答しないことがわかったのです。このことは、生来的にマウス脳に組み込まれたdistress callへの聴覚応答機構は、プロトタイプ付近の狭いISI範囲をもつ泣き声に限定されてチューニングされていることを示しています。

それでは、NVマウスが実際に子育て行動を学ぶという「経験」を積むことが、本当にバリエーションをもつ音声パターンへの聴覚応答を形成するのでしょうか。研究チームはこれを確認するために、複数の実験をおこないました(05)。その結果、NVマウスを子育て中の母子と一緒に飼育し学習させる「co-housing」によって、限定されたdistress callから幅のあるISIをもつ音声に対しても応答可能になるよう、「再チューニング(re-tuning)」が生じることが明らかになったのです。しかもたとえばco-housingの経過中、とても長いISI(575 ms)をもつ合成音声を聴かせて学習させると、その後は通常では見られない長いISI音声(575 ms)でもリトリービング行為を示すというのです。面白いですよね。

最後に研究チームは、母性行動に関与するペプチドホルモンのオキシトシンが、学習による聴覚皮質神経の再チューニングに及ぼす作用を調べました。このために、オプトジェネティクスによる神経活動抑制06)でオキシトシン神経の活動を抑えつつ、子育て中の母子とのco-housingをおこないました。その結果、オキシトシン作用が抑制された状態では、co-housingによる学習の機会があるにもかかわらず、distress callに対する聴覚皮質応答の再チューニングが抑制されることがわかったのです。

以上を整理しましょう。本研究では、養育活動の経験がないマウスにも、仔のdistress callを認識し、リトリービング行動に導く回路が脳内に備わることを示しました。一方、この生来の性質は典型的音声パターンに限定された応答であり、バリエーションをもつ音声パターンへの応答性獲得には、養育活動の経験を通し学習する必要があることを明らかにしました。さらに、学習による再チューニングには、オキシトシンが重要な作用をもつことも提示したのです。

仔のdistress callに対する聴覚応答に、本能と学習の両者が関わるとの本研究結果は、結論としては妥当というか、あまり意外性はないでしょう。ただ、distress callの音声パターン解析は、面白いなと思いました。ヒトの赤ちゃんの生直後の泣き声について、その音程が狭い領域にあること(〜440Hz)はよく言われますが、音節-音節間隔(ISIs)も特徴をもち、かつこれが聞く側の聴覚応答に関与しているというのは驚きでした。赤ちゃんの泣き声をAIで解析するような研究も最近では進んでいるようですし、音程やISIなどさまざまな要素を含む泣き声パターン解析とこれに対する脳の応答機構の研究が、ヒトについても一層進むのではないでしょうか。

少し残念に感じたのは、論文タイトルに「maternal behaviour」とあるのに、少なくとも研究内容が直接「母性」に関わるものとなっていないことです。ちょっとそこだけ腑に落ちないというか何というか、まぁ大きな問題ではないので、良いのですが…

補足

01

げっ歯類の養育行動は、巣作り(nesting)、そこへの仔の運び込み(retrieving)、仔にまたがって温める行動(crouching)、仔を舐めることで綺麗にする行動(grooming)などで評価することが可能です。この研究では、プロトタイプのdistress callや、そのISIを変えたさまざまな音声を聞かせつつ、巣から離れて置かれた仔マウス(生後1-8日)を口にくわえて巣へ運び込む行動(retrieving)を定量することで評価しています。

02

distress callに対する応答を解析するのが本研究の目的です。したがって、これまでにdistress callを聞いたこともない、つまり仔マウスの世話を全くしたことのないナイーブなバージンの雌マウスを用いて実験をおこないます。このような雌マウスを、この研究ではnaive virgin(NV)マウスとしています。一方その対照として用いるマウスは、もしも自身の出産・子育て経験があるものを用いた場合、distress callを聞いた経験だけでなく、妊娠・出産・子育て経験によるさまざまな変化も結果に影響を及ぼす可能性があります。したがってこの研究では、distress callを経験した対照群として、子育て中の母子と一緒に生活し、養育活動を見聞きした経験があるバージン雌マウスを、experienced virgin(EV)マウスとして用いているのです。本文にも書いたように、簡単に例えると、ベビーシッターの仕事を始めておこなうNVマウスを、自身は未産婦だけどシッター経験があるEVマウスと比較するということです。

03

麻酔をして発声しない仔マウスを巣から離しておき、かつISIをさまざまに変えて合成したデジタル音声を同時に聴かせながらリトリービング行動を観察しています。その結果、575 msを超えるISIではEVマウスがほとんどリトリービング行動をとらないことがわかりました。

04

脳の外皮に頭蓋窓を作り、左聴覚皮質の活動をin vivo カルシウムイメージング法で、二光子顕微鏡を用いて、リアルタイムに観察しているのです。このために、聴覚皮質領域の神経に、EGFPの片側にカルモジュリン、もう一方側にミオシン軽鎖フラグメントをつないだカルシウムセンサータンパク質、GCaMP6fを発現させています。カルシウムイオンとカルモジュリンとの結合により、EGFPの構造が変化し、これにより蛍光強度が変化するため、カルシウム濃度変化を蛍光強度の変化として検出できるのです。

05

子育て経験を積む過程、すなわち子育て母子ペアとco-housingの経過中に脳内でどのような変化が生じるかを解析しました。ひとつは、04で述べたGCaMP6fイメージングを、興奮性ニューロンと抑制性ニューロンのそれぞれに分けて、co-housingの過程で解析しました。その結果、プロトタイプ以外のISIをもつdistress callに対する神経活動が実際に活性化されることがわかりました。また、本文にも書いたように、co-housingを行いながら長いISI(575 ms)をもつ合成音声を聴かせNVマウスに学習させました。その結果、このように学習したNVマウスは長いISIに応答してリトリービング行動を示すようになることがわかりました。このことは、distress callに応答するための脳内再チューニング、個別の学習経験に合わせて生じることを意味しているのです。

06:

ハロロドプシンを用いるオプトジェネティクスで解析しています。

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