ライフサイエンス研究とその周辺に関する個人のブログです

生まれたて赤ちゃんの呼吸をサポートする脳の働きとPACAP

赤ちゃんは母体から外へ出た瞬間、つまり出生の時を境として呼吸を始めます。もちろん、母体内で羊水に包まれている胎児も、呼吸様の運動をしています。ただ、大気に包まれる生活に移行し、空気をいっぱい吸い込んで、酸素(O2)を取り込み二酸化炭素(CO2)を吐きだす本当の呼吸を始めることは、赤ちゃんにとって最初の大きな仕事です。では、オギャーと声をあげ、一生続く呼吸を開始するために、私たちの体にどのような仕組みが備わるのでしょうか

脳のある部分で働くペプチドがこの仕組み、すなわち生直後の呼吸調節に重要だという研究成果が、つい最近発表されました。脳幹、そしてその中の延髄で発現するPACAPというペプチドがとても重要だというのです。呼吸の開始というドラマチックな出来事に関わる脳の仕組みを見つけた本研究は、2020年12月2日、Nature誌で公表されました。筆頭著者はYingtang Shiさん、責任著者はDouglas A. Bayliss先生で、米国のヴァージニア大学を中心とした研究グループからの報告です。

A brainstem peptide system activated at birth protects postnatal breathing

Yingtang Shi, Daniel S. Stornetta, Robert J. Reklow, Alisha Sahu, Yvonne Wabara, Ashley Nguyen, Keyong Li, Yong Zhang, Edward Perez-Reyes, Rachel A. Ross, Bradford B. Lowell, Ruth L. Stornetta, Gregory D. Funk, Patrice G. Guyenet & Douglas A. Bayliss

Nature: 02 December 2020

私たちの体は、適切なO2摂取とCO2排出を継続するために、きめ細やかな呼吸調節の仕組みを備えています。動脈にはO2分圧のセンサーを、延髄の腹側にはCO2分圧のセンサーをもち、血中のこれらガス分圧をモニターしています。延髄腹側のCO2分圧センサーは、中枢性化学受容器と呼ばれ、たとえば血中CO2分圧が上昇するとこれを感知し、呼吸中枢に伝達し、結果的に肺での換気量呼吸の速さ(時間あたり回数)を増やして血中CO2分圧を補正する(下げる)のです。

延髄腹側におけるこのような呼吸リズム調節には、後台形核(retrotrapezoid nucleus: RTN)と呼ばれる部位やプレベッツィンガー複合体pre-Bötzinger complex)と呼ばれる部位が関わるとされてきました。今回取り上げるのは、これら延髄腹側領域の脳回路に関する研究なのです。

本研究では、PACAPというペプチドについて調べています(01)。PACAPはそもそも下垂体細胞に作用するペプチドとして単離されたようですが、その後の解析で、受容体であるPAC1への結合を介し、神経細胞への多彩な作用や、膵臓細胞でのインスリン分泌促進など、色々な場所で色々な機能をもつことが明らかになっています。PACAPがヒトの乳幼児突然死症候群SIDS)に関連するとの報告もあることから、研究チームはこのペプチドと呼吸調節との関係を深く調べることとした、としています。

研究チームはまず、延髄腹側後台形核(RTN)でPACAPを欠失するマウスRTN PACAP 欠失マウスとします)を作成しました(02)。その結果、このマウスでは高CO2刺激に対する呼吸回数増加応答が弱くなり、また無呼吸の頻度も多くなることがわかりました(03)。また、RTNでのPACAP発現を他の方法で抑制しても同様の結果が得られました(04)。これらのことから、RTNに発現するPACAPが、特にCO2分圧上昇時の呼吸調節に重要な役割をもつことがわかったとしています。

研究チームは次に、RTNに発現するPACAPがどのような仕組みで呼吸調節に関わるかを調べました。その結果、延髄腹側のプレベッツィンガー複合体という部位が関与することが判明しました。正常なマウスに高CO2刺激を加えると、プレベッツィンガー複合体中で、PACAPの受容体であるPAC1を発現する細胞が活性化を受けます。ところが、RTN PACAP欠失マウスへの高CO2刺激では、これが低下することがわかったのです。しかも、プレベッツィンガー複合体の近くに直接PACAPを注入すると、マウスの呼吸運動回数と程度が増加することも確認されました。つまり、RTNで発現するPACAPは、これら細胞が入射するプレベッツィンガー複合体PAC1発現細胞を活性化することで、CO2分圧上昇に対する呼吸応答を調節しているというのです(05)。

さてここまでの結果から、CO2分圧上昇 → RTNのPACAP発現 → プレベッツィンガー複合体PAC1陽性細胞活性化 → 換気量と呼吸回数の増加によるCO2分圧低下、という呼吸調節機構が働くことがわかりました。

研究チームは次に、これまでに知られていた事実にあらためて注目します。すなわち、PACAPを全身で欠失するノックアウトマウスは、全例必ずというわけではないものの、生後しばらくの期間中に死亡しやすいという事実です。このことから、先に見つけたRTNで発現するPACAPの働きが、生直後の呼吸開始にも重要な役割をもつのではないかと考えたのです。

これについて調べた結果、非常に面白いことがわかりました。何と、RTNでのPACAP発現量が出生直後に何倍も増えることが判明したのです。しかも、急増したPACAPはその後数日で次第に減少し、再び低いレベルに戻るのです。これはまるでRTNでのPACAP発現が、生まれた直後の赤ちゃんが呼吸を始めるための特別なサポート機構として働くことを示唆しています。

チームはさらに、PACAP発現が増える現象がそもそも出生時期に予定される変化なのか、あるいは本当に出生がきっかけで生じる変化なのかを調べました。このため、ある種のホルモン剤を投与して、予定より早く出生となった仔におけるRTNのPACAP発現を調べました。その結果、この条件においても生直後のPACAPが増加することがわかりました。一方通常の分娩ではなく、羊水から直接取り上げた仔ではPACAP発現増加は見られませんでした。このことは、PACAP発現上昇は、元来プログラムされた変化ではなく、出生後実際に直面する環境変化に応じて生じる分子発現であることが分かったのです。

詳細は省きますが、このあと研究チームは、RTN PACAP欠失マウスにおいて、新生児期のCO2分圧上昇に対する呼吸応答が低いことや無呼吸の頻度が高いことを示しています。つまり、RTNにおけるPACAP発現が、実際に赤ちゃんが呼吸開始したあとしばらくの期間、サポート機構として機能することを提示しているのです。

面白い研究ですよね。延髄内神経ネットワークの解析も興味深いですが、なんと言ってもこの研究のハイライトは、PACAPの発現が生直後に劇的に増加することの発見だと思います。赤ちゃんが自分の力で呼吸を開始し、そのリズムを作っていくにあたり、生体がこんなに優しい見守り機能を準備しているとは、ちょっと感動的ですよね。

またチームは、元気な赤ちゃんが眠っている間に突然死亡してしまう乳幼児突然死症候群(SIDS)の原因に、この研究で明らかになった脳内機構が関係するかもしれないと強調しています。いまだ原因がはっきりせず、しかも乳児期の死亡原因として決して少なくないこの病気の研究が進めばすごいことですよね。

個人的には、この成果は、SIDSのように小さな子供の重大な病気の研究に加え、たとえば全身麻酔の薬の作用や一部の大人の睡眠時無呼吸症候群(SAS)の病態など、他の領域の研究にも関係してくるのだろうと思います。

補足

01下垂体アデニル酸シクラーゼ活性化ポリペプチドPACAPPituitary adenylate cyclase-activating polypeptide)は、「ペイキャップ」と発音されることが多いようです。

02: RTNで発現するPhox2b遺伝子プロモーター下にCreリコンビナーゼを配したマウスと、PACAP遺伝子にloxPサイトをもつマウスを交配し、RTNだけでPACAPをノックアウトしています。

03: マウスの呼吸機能の解析は、からだの容積変化を調べ、これにより呼吸に伴う肺・胸郭系の容積変動を解析する体プレチスモグラフィー(Body plethysmography)などでおこなっています。

04: 抗RTNに限局発現する別の遺伝子のプロモーター依存性にCreリコンビナーゼを発現させてPACAPを欠失さたり、RTN近傍にshort hairpin RNA(shRNA)を注入してPACAP発現を低下させるなど、複数の方法でPACAP発現を抑制し、その影響を解析しています。

05: 他にも、プレベッツィンガー複合体神経のPAC1発現をshRNA でノックダウンする実験もおこない、この細胞がPAC1を介して活性化されることがCO2分圧上昇に対する呼吸応答調節に重要であることを示しています。

最新情報をチェックしよう!