ライフサイエンス研究とその周辺に関する個人のブログです

空腹時に食べ物の匂いが増強する仕組みとニューロペプチドY

「食べ物の匂い」にふと気づいて惹かれることってありますよね。どこか近くのお店とか、誰かが近くで食べているものなどから漂ってくる、何か美味しそうで好ましい匂いです。いくつかそういう場面を思い出してみてください。その時、あなた自身、お腹が空いていましたか?

空腹時に食べ物の好ましい匂いを嗅ぐと食欲が一層高まることに、誰も反論はないでしょう。では逆に、空腹状態にあることは、食べ物の匂いの感じ方にどのような影響を与えるのでしょうか。もう少し違う言い方で聞くならば、空腹や満腹など摂食状態の違いが、さまざまな匂いを感知する嗅覚の中において、特に食べ物の匂いに対する感受性を変えるのでしょうか

最近、食べ物の匂い(food odour)を感知する嗅覚摂食状態の関連を調べた面白い研究が発表されました。他種の匂いと比較して食べ物の匂いが、空腹状態のマウスに強い誘引性(attraction)を生むことを提示し、しかもその脳内機構を示したのです。この研究は2021年3月3日、Nature誌で公開されました。筆頭著者はNao Horioさん、責任著者はStephen D. Liberles先生で、米国ハーバード大学のチームによる研究です。

Hunger enhances food-odour attraction through a neuropeptide Y spotlight

Nao Horio & Stephen D. Liberles

Nature: 3 March 2021

嗅覚情報の伝達は、鼻の奥で匂い物質、すなわち揮発性の化学物質が嗅上皮の匂い受容体と結合することから始まります。受容体は400種類近くもあるとされ、しかも各匂い物質に対して異なる複数の受容体が活性化されうるので、その組み合わせを通して膨大な種類の匂いを嗅ぎ分けることが可能となるのです。匂い受容体からの情報は一次中継核である嗅球で統合され、その後嗅皮質に入力されます。嗅覚以外のほとんどの感覚情報が高次脳領域に伝わる途中で視床を経由するのに対し、嗅覚情報は視床を経由しません。そのようなこともあり、嗅覚情報が嗅覚以外の脳の情報伝達回路とどう相互作用するのか、不明の点も多かったのだと思います。

摂食行動には、脳内の視床下部弓状核という領域が重要な役割を果たすことが知られます。ごく簡単に書くと、この領域にあるアグーチ関連ペプチド(Agouti-related peptide: AGRP)を産生するAGRPニューロンが空腹時に活性化されることで食欲が生じ、摂食行動が誘導されるのです。AGRPニューロンは、脳の他の様々な部位とネットワークを形成することや、AGRPの他にも摂食亢進ペプチドのニューロペプチドYneuropeptide Y: NPY)やGABA(g-aminobutyric acid)を分泌することで、摂食行動に深く関わることが知られるのです。

研究チームは最初に、マウスを空腹状態におくことが食べ物の匂いの感じ方にどのような変化を及ぼすのかを、two-choiceアッセイという実験で調べました。単純で面白い実験法なので書いておきましょう。まず、フタに小さな穴を開けたプラスチック容器を準備し、これに匂い物質を含む溶液を入れて床に置きます。マウスが上方から穴を通して漂ってくる匂いを嗅げる状況をつくるのです。この容器を2つ用意し、それぞれ違う物質を入れて実験スペース内に少し離して設置します。そして、実験開始まで別の場所で好きに食事をした自由摂食マウス(fedマウス)、あるいは24時間絶食させ空腹状態にした絶食マウス(fastedマウス)を実験スペースに入れ、上方からビデオ撮影し行動を記録するのです。5分間の記録中、マウスの鼻先が各匂い容器のフタの直上に差し出されていた時間を計測し、匂い物質の誘引性(attraction)の評価に用います(01)。もちろん定量評価をおこなうわけですが、論文にはマウスの鼻先が動いた軌跡も提示してあり、なんか可愛らしい感じがしました。

さてこの方法で、食べ物の匂い(food-odour)に対するマウスの行動を、「食べ物以外」あるい「水」の匂いに対するそれと比較し調べます。「食べ物の匂い」の実験にはマウスの餌を溶いたもの「食べ物以外の匂い」のためにはフェロモン(pheromone)物質として異性(オスならメス、メスならオス)の尿を容器に入れています。

結果ですが、お腹が満たされている自由摂食マウスに対しては、食べ物の匂いとフェロモンに誘引性の違いはありませんでした。ところが、絶食マウスは食べ物の匂いに対して強い嗜好性を示すこと、逆に言えば食べ物の匂いが絶食マウスに高い誘引性をもつことがわかりました。面白いことに、上記実験をおこなう前に自由摂食マウスを異性と一定時間過ごさせておくと、フェロモンの方が高い誘引性を示します。このことは、満腹であれば、今度は別の生理的欲求が嗅覚の選択的感受性増強に関わることを示しています。いずれにしても、上記結果から、空腹状態が食べ物の匂いの誘引性(food-odour attraction)を高めることがわかったのです。

次に、視床下部AGRPニューロンが食べ物の匂いの嗜好性に関わるかを、オプトジェネティクスで調べました。その結果、食べ物の匂いに嗜好性を示さない自由摂食マウスであっても、AGRPニューロン刺激によって嗜好性をもつことが判明したのです(02)。ちなみにAGRPニューロンは、脳内のさまざまな領域に投射して回路を形成することが知られます。そこで研究チームは次に、脳のどの領域へのAGRPニューロン入射が食べ物の匂いへの嗜好性獲得に関わるかを、やはりオプトジェネティクスで解析しました(03)。その結果、視床室傍核(paraventricular thalamus; PVT)へ伸びるAGRPニューロンの関与が示唆されたのです。 このことを確認するため、今度は抑制性オプシンを用いたオプトジェネティクスで、PVTへ入射するAGRPニューロンのサイレンシングをおこないました(04)。その結果、食べ物の匂いに嗜好性を示すはずの絶食マウスがこれを示さなくなりました。このことは、PVTへ入射するAGRPニューロンが嗜好性の確立に重要であることを示しているのです。

先に書いたようにAGRPニューロンは、AGRPの他にもニューロペプチドY(NPY)およびGABAを分泌します。そこでこの3者の中のどの神経伝達物質が嗜好性獲得に重要かを、ノックアウトマウスモデルを利用して調べました。その結果、NPYノックアウトマウスは絶食にしても食べ物の匂いへの嗜好性を示さないことがわかり、NPYの関与が強く示唆されたのです(05)。

NPYは5種類の受容体を介して作用を発揮することが知られます。ではこの中のどの受容体を発現する細胞に作用するNPYが、食べ物の匂いへの嗜好性獲得に関わるのでしょうか。チームはここでも複数のノックアウトマウスを解析し、NPY5Rが重要であることを突き止めました。すなわち、絶食にしたNPY5Rノックアウトマウスでは、嗜好性獲得が見られないことが明らかになったのです。

一部省いたところもありますが、整理してみます。この研究では、空腹が食べ物の匂いの感受性を高め、他の匂いよりも高い嗜好性を生むことを明らかにしました。そしてこの仕組みには視床下部弓状核のARGPニューロンの視床室傍核(PVT)への経路が関わること、さらにその情報伝達にはNPYが重要であることを示したのです。

摂食調節と匂いの関係、とても興味深く思いました。研究チームが、視床には特別なゲートがあり、これがNPY-NPY5Rの組み合わせで開くことにより、食欲という生体の欲求と「食べ物に対する嗅覚」という特定の感覚回路とが接続可能になる、というようなことを書いているのもとても面白く思いました。本研究のように、たとえば今度はフェロモンに対する嗅覚のゲートを開くにはこういう異なる分子機構が必要だ、などと、さまざまな生体の欲求や異種感覚と特定の嗅覚とを結ぶ脳内回路の理解も進んでいくのでしょう。面白いですよね。

補足

01: 論文ではfood-odour attractionという言葉が使われます。「attraction」という語について、この記事では「誘引性」とさせていただきますが、より適した訳語があるであれば、どなたか教えてくださいませ(不勉強でスミマセン)。また「attraction」は物質側に立つ言葉で、動物側の視点ではpreferenceという語が使われます。これはこの後の文章で「嗜好性」としますが、こちらもより適切な語があれば教えてください。

02: オプトジェネティクス、すなわち光遺伝学的手法で調べています。ここではAgrp遺伝子座にCreリコンビナーゼ遺伝子をノックインしたマウスと、Creリコンビナーゼ依存的にストップコドンが除去されてチャネルロドプシン2(ChR2)遺伝子を発現するマウスを交配したマウスを利用しています。脳内に留置するファイバーで光を当てるとChR2分子が活性化され、これを発現するAgrp発現細胞を選択的に活性化できるという仕組みを用います。

03: branch-specificなニューロン活性化を用いるオプトジェネティクスという技術を用いています。すなわち、先と同様にAgrpニューロンでChR2が発現するよう、Agrp-Creマウスにウイルスベクター(AAV-DIO-ChR2)を感染させます。詳細は省きますが、これによってCre依存性にAgrpニューロンでのみChR2が発現するマウスがまず得られるのです。次にこのマウスの脳において、今度は視床下部弓状核ではなく、AGRPニューロンが投射する先の各部で光刺激をおこなうのです。過去の研究で、このようにオプトジェネティクスで活性化されたAGRPニューロンは、逆行性伝導やさらに別の領域への興奮伝導を生じないことがわかっているので、AGRPニューロンが投射する各々の領域(branch)別に影響をみることができるというのです。面白いですよね。この研究では、AGRPニューロンの標的部位として視床室傍核(PVT)のほかに、分界条床核(BNST)視床下部室傍核(PVH)扁桃体中心核(CeA)外側視床下部(LH)扁桃体内側核(MeA)、水道周囲灰白質(PAG)、および傍小脳脚核(PBN)に光刺激を加えたとしています。なんか膨大な実験なのではないでしょうか。スゴイですよね。

04: 黄色光の受容で細胞外から細胞内にクロライドイオンを流入させ、結果として過分極応答を誘導して神経抑制を示すハロロドプシンを用いてオプトジェネティクスをおこなっています。

05: 本文には書きませんが、研究チームはさらに、全身でNPYを欠失するNPYノックアウトマウスをAGRP-Creマウスと交配し、これにウイルスベクター(AAV-DIO-NPY)を感染させ、逆にAGRPニューロンだけでNPY発現を戻してやることにより、絶食NPYノックアウトマウスの食べ物の匂いへの嗜好性が回復してくることも示しています。

最新情報をチェックしよう!